『光る君へ』源氏物語と文房四宝

みなさん、こんにちは、文具屋のおやじ、ノボタンです。

『光る君へ』

NHK大河ドラマ、『光る君へ』もうすぐ最終回ですね。

物語は平安時代中期、日本文学史上最高の傑作とも言われる『源氏物語』を執筆した「紫式部」、劇中では「まひろ」と言う名の女性が宮中に女房(朝廷で高貴な人々に仕えて身の回りの世話などに従事する女官)として入り、「藤原道長」の長女である「藤原彰子 ふじわらのしょうし」の教育係として仕えている時に、「藤原道長」から彰子を元気付ける為に読み物を書くように命ぜられて、というようになっています。

『源氏物語』

『源氏物語』は主人公「光源氏」が出生する直前から、彼の死後も含めた70年あまりの出来事を描いた54帖(源氏物語は巻物ではなく、折本であった為、このように呼ばれている)約100万字、400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶ長編小説です。

その中には759首の和歌も詠みこまれ、500人余りの人物が登場する典型的な王朝物語です。

執筆活動は10年くらいとされていますが、その後も手直しや加筆も行われた可能性が有ります。

ドラマの中で、主人公「まひろ」 紫式部(劇中では藤式部 とうしきぶ と呼ばれている)(式部というのは宮中で官僚の人事や教育、儀礼を担当する役所のこと。まひろが「藤式部」と呼ばれているのは、当時の日本では唐文化が非常に尊敬されており、紫式部が持つ学識や教養、特に漢文学も知識が豊富であった為、そのように呼ばれていた可能性があります)

『文房四宝』

みなさん、『文房四宝』と言う言葉、お聞きになったことありますか?

『文房』という書斎(?)の中で、使われる『硯石』『墨』『筆』『紙』のことです。

 

ドラマ「光る君へ」の中で、まひろが執筆しているシーンがよく見られます。

硯石で墨を磨り、筆を硯石の墨に浸し、紙に書く。

硯石

硯石で墨を磨るシーンがよく出てきます。

墨池(墨を溜める部分)が二つ有る物も登場します。

その墨池には鯉と牛が彫られています。

これは濃い(鯉)と薄い(牛)を使い分けていた物と思われます。

硯石は日本でも平安後期から産出されるようになりますが、紫式部が愛用していた硯は唐の端渓硯だと思います。

(この他にも幾つか愛用の物が有ったようです)

墨も4~5世紀頃唐から入って来ていますが、日本でも飛鳥時代から製造されていました。

しかし仏教文化が浸透した推古天皇の時代、写経が盛んになるにつれ、その需要に追い付かず、日本でも製造されるようになりました。

その頃の墨は「松煙墨」という赤松の松脂を燃やした煤で作っていたものでした。

平安後期になり、宋の国から胡麻油などを燃やして作る「油煙墨」が入ってきます。

油煙墨は松煙墨に比べると墨の品質、濃さは圧倒的に高く、貴重な墨とされました。

現在日本の墨の製造地は奈良県が全国の95%を占めています。

固形墨と墨汁・墨液

固形墨は胡麻油、菜種油などの植物を燃やして出来た煤(すす)に膠(にかわ)や香料を加えて作ります。

集めた煤と膠を練り合わせ、香料を加えて作ります。

固形墨の製造は膠を使っている為、夏場の高温や湿度が高いと柔らかくなりすぎて墨が崩れやすいことなど、品質に影響を与える為、作るのは主に冬季です。

そして固形墨は磨り方によって粒子の大きさを変える事が出来、また磨る時間によって濃淡が現れます。

墨汁・墨液の原料は固形墨と同じように松や菜種油を燃やした煤に膠を混ぜ、そこに水や溶剤を加えて液状にし、防腐剤を加えて品質を安定させます。

現在、このように製造される墨汁・墨液も有りますが、現在は原料として煤に変わってカーボンブラックが使われています。

これに樹脂系の糊を混ぜ、防腐剤や香料も加え、これに水を加えて液化します。

墨汁・墨液は一つ一つの墨の粒子が細かく均一な為、色合いも一定できれいに書けます。

また、価格も固形墨に比べると安価です。

筆は元々中国で作られていましたが、弘法大師が唐から帰ってその製造方法を伝えてから日本でも沢山製造されるようになりました。

「弘法筆を選ばず」と言う言葉が有りますが、弘法大師は筆にはとても拘って、選んでいたそうです。

筆は写経に使う物と、かな書きに使う物はかなり違いが有ります。

源氏物語はひら仮名で書かれています。

筆には、かな書き用、漢字用(写経筆も含めて)があります。

仮名書き用筆

「光る君へ」の画面で紫式部(藤式部)が筆を使うシーンがよく出てきます。

手にしている筆は毛先が細くて長いです。

毛の材料にはイタチ毛、猫毛、兎毛、狸毛などが使われています。

あのシーン、私はいつも見とれているのですが、本当に美しい文字を書いていますよね。

あのシーン私は最初、プロの書道家が書いているのかと思いましたが、吉高由里子さんご本人が書いているのですね。

吉高さん、もともとは左利きだそうですが、あのドラマの為に右手で猛練習をしたそうです。

流石プロフェッショナル!素晴らしいです。」

越前和紙

紫式部が書いている紙は越前和紙です。

「光る君へ」の劇中で紫式部が物語を書くように藤原道長から命を受けた時、「紙が欲しい」と頼むシーンがありました。

そして後日、道長から沢山の和紙が届きます。

平安時代、紙は写経をする為に沢山必要になり、日本各地でも和紙の製造がされるようになります。

越前和紙の起源は6世紀に遡るといわれ、平安時代には盛んに行われるようになりました。

和紙の魅力

越前和紙をはじめ、日本には優れた和紙があります。

日本最古の和紙は正倉院に残る物で、大豊2年(西暦702年)大宝律令の際、美濃国、筑前国、豊前国で抄かれた戸籍用紙だそうです。

1300年以上も前に書かれた『和紙』が現存し、その文字が読めるというのは保存性の素晴らしさを物語ると同時に驚異的な事だと思います。

和紙は機械で製造される洋紙とは違い、機械作業も有りますが、ほとんどは職人たちが手間暇かけて手作業で生産しています。

2014年、ユネスコは『和紙 日本の手漉き和紙技術』を無形文化遺産に登録しています。

登録されているのは『島根県の石州半紙』『岐阜県の本美濃番紙』『埼玉県の細川紙』です。

そして日本三大和紙には『越前紙』『美濃紙』『土佐紙』があります。

和紙を使った製品は便箋、封筒、はがき、金封、色紙、書道の紙、短冊、懐紙、折り紙、絵画用紙他沢山あります。

和紙には洋紙と違い、何とも言えない温もりがあります。

和紙の便箋に万年筆で手紙を書く、みなさんも一度挑戦してみてはいかがですか。

そして私も越前へ行って、実際に紙漉きをやってみたいと思っています。

おわり

 こんにちは、文房具屋のおやじ ノボタンこと、山路 昇です。

 生家は和歌山市の商店街の文房具店。 そこの三男として生まれ、育ちました。
  団塊の世代です。
 
 物心がついた頃、周りは文房具に囲まれていました。

 大学を出て東京で5年間レストランの会社でサラリーマン生活を経た後、和歌山に戻り、色々な経験を経て、現在も百貨店の文具売り場で日々お客様と接しています。
 
 この46年間、文具の仕事に携わってきた知識と経験を通して見た色々な事、文具の紹介などを書き連ねて行こうと思っています。

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